東京JAZZ 2002
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Message from Herbie Hancock
今回、音楽プロデューサーをつとめるハービー・ハンコックから、
日本のファンのみなさんへのメッセージです。(動画)
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real player




Herbie Hancock ハービー・ハンコック
1940年4月12日シカゴ生まれ
ピアノ・レッスンを始めたのは7才の時。その後カレッジ在学中に自作曲で最優秀賞を受賞。 カレッジ卒業の60年にコールマン・ホーキンスらと共演することによりプロとしてのジャズ・ピアニストのキャリアが始まる。 62年に初リーダー作『テイキン・オフ』をブルーノートからリリース。63年には『ウオーターメロン・マン』が大ヒット。 マイルス・デイビス・バンドには63年から68年まで在籍し数々の名演を残す一方、65年には『処女航海』を発表。 72年にLAに移り住んだあと73年オークランド・ファンク・サーキットのポール・ジャクソンらと革新的なグループ「ヘッド・ハンターズ」を結成。 同年発表したブラック・ファンク・アルバム『ヘッド・ハンターズ』が爆発的にヒット。 70年代後半はウェイン・ショーター、トニー・ウイリアムス、フレディ・ハバードらとVSOPを結成し世界中をツアー。 83年にはマテリアルのビル・ラズウェルがプロデュースしたヒップ・ホップ・アルバム『フューチャー・ショック』のシングル・カット『ロック・イット』が 世界中で大ブレイク。自身初のグラミー「ベストR&Bインストゥルメンタルパフォーマンス」賞を獲得する。 ついで85年には映画『ラウンド・ミッド・ナイト』の音楽監督としてアカデミー賞を受賞。 90年に入りポリグラムと契約をし、94年にサイバー・ファンク・アルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』を発表。 98年にはヴァーヴから『ガーシュイン・ワールド』を発表し、そのアルバムはグラミーを受賞する。 最新作『フューチャー2フューチャー』(2001)では再びビル・ラズウェルをプロデューサーに、カール・クレイグをはじめクラブミュージックシーンの注目株と共演。 デビューから40年以上たった現在でも、常に時代の最先端を行く音楽を創造し続けている非凡なピアニスト、アレンジャー、プロデューサーとして 世界中の様々なアーティストからリスぺクトされている存在だ。

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Wayne Shorter ウェイン・ショーター
1933年8月25日ニュージャージー州ニューアーク生まれ
1959年『Introducing Wayne Shorter』でデビュー。それと同時にアート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズに在籍し、 音楽監督兼テナー・サックス奏者として活動。64年以降ハービー・ハンコック、トニー・ウイリアムス、ロン・カーターらとともに マイルス・デイヴィスのグループに在籍、ジャズ・シーンをリードするサックス奏者となる。 6年間の活動のなかで、彼らはジャズ史に残る多くの功績を残している。その間にもソロ作として11枚のアルバムを発表している。 70年になるとマイルスのコンボで共に活動していたジョー・ザヴィヌルとウエザー・リポートを結成。『テイル・スピニン』(75)、 『ブラック・マーケット』(76)などをはじめどの作品でもアヴァンギャルドなフューチャージャズの世界を構築。 結果、70年代の音楽シーンを通して最も人気の高いグループの1つに成長させた。またそれに並行してソロ活動も行い3枚のソロ作を発表している。 とくに74年発表の『ネイティヴ・ダンサー』は当時のジャズシーンだけではなく、のちのクラブミュージックにも多大な影響をおよぼしており、 名盤として評価する声が高い。85年『アトランティス』発表以降、ソロ活動がメインとなる。 今年5月には7年ぶりとなる本人名義のアルバム『フットプリンツ〜ベストライヴ!』(ユニバーサル ジャズ)を発表。 昨年のワールドツアーのなかからベストプレイをセレクトした内容で話題を呼んでいる。 96年の『ハイライフ』で「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス賞」受賞など、 これまでに(ウェザーリポート名義なども含め)6つのグラミーを獲得。

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Michael Brecker マイケル・ブレッカー
1949年生まれ
75年、兄でトランぺッターのランディ・ブレッカーと組んだブレッカー・ブラザーズとしてデビュー。 ディスコ、ファンク路線の『バック・トゥ・バック』(76)やロック的アプローチの『ヘヴィー・メタル・ビバップ』(78)など これまでに8枚のアルバムを発表。どれもセンセーショナルな話題を巻き起こした。 80年代に入ると、テナー・サックス奏者として実力が評価されはじめる。そして87年に初リーダー作『マイケル・ブレッカー』を発表。 そのオーセンティックなジャズプレイは、新旧問わず多くのジャズリスナーたちを魅了している。 結果、88年『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』での「ベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス(ソロ部門)」 受賞を筆頭にこれまでにグラミー賞を何度も受賞するほどの評価を受けている。 最新作の『ニアネス・オブ・ユー:ザ・バラード・ブック』(01・ユニバーサル ジャズ)では、 前作『タイム・イズ・オブ・ジ・エッセンス』(99)同様、プロデューサーにパット・メセニーを迎え、 ハービー・ハンコック、チャーリー・ヘイデン、ジャック・デジョネットさらにジェームス・テイラーらが参加した1枚だ。 この作品で今年8度めのグラミーを獲得している。

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Nils Petter Molvaer ニルス・ペッター・モルヴェル
1960年ノルウェー生まれ
ジャズプレイヤーの父親の影響で13歳のころからバンド活動を開始。 80年前後からは、エルビン・ジョーンズ、ゲーリー・ピーコックをはじめ数々のジャズミュージシャンとセッションを重ねる。 その頃は伝統的なトランペットプレイヤーとしての素養を培い、97年ソロデビュー作『Khmer』でその培った技術と 彼の元来持つポップセンスを融合。ドラムンベース、アンビエンント、ダブなどこれまでのジャズには見られないほどに クラブミュージックを積極的に取り入れ、話題を呼ぶ。結果、そのセンセーショナルは本国はもちろんアメリカ、ドイツなどでも大ヒット。 10万枚というJAZZシーンでは異例といわれるセールスを果たし、ジャンルをこえる支持を得た。 2作めとなる『Solid Ether』(2000・輸入盤)でもまた新たなるジャズの可能性を見せ、ヒットしている。 昨年はリミックス集『Recoloured』をリリース。ハーバートや今年のフジロックフェスティバルにも登場する シネマティック・オーケストラをはじめ、現在のクラブシーンにおける重要人物がリミキサーとして参加している。

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Tropical Jazz Big Band 熱帯JAZZ楽団
元オルケスタ・デ・ラ・ルスのリーダー、カルロス菅野を中心に1994年に結成された、18人のメンバーによるラテン・ジャズ・バンド。 数々のライヴパフォーマンスを経験し、97年自主製作アルバム『熱帯JAZZ楽団-LIVE IN YOKOHAMA-』発売。 98年には、トロピカルジャズレーベル(RMMレコード)より全米発売、ニューヨークで行われた“JVC JAZZ FESTIVAL”に出演する。 また同年には『熱帯JAZZ楽団 II-September-』にてメジャーデビュー。99年には『熱帯JAZZ楽団III』、2000年『熱帯JAZZ楽団 IV〜La Rumba〜』発売。 5thとなる最新作は『熱帯JAZZ楽団V〜La Noche Tropical〜』(01)。どれもジャズ、ファンク、オリジナルまで亜熱帯を彷佛させる エキサイティングかつオリジナリティのあるバンドサウンドは、日本の音楽シーンのなかでは唯一無二の心地よさだ。 また昨年10月には元PSY・Sのチャカもヴォーカルとして参加している新プロジェクト、 熱帯倶楽部を開始、『熱帯倶楽部〜Spilit of Rhythm〜』(01)を発表している。 

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Kei Kobayashi 小林 桂
1979年生まれ
両親、祖父ともにジャズ・ミュージシャンという音楽一家に生まれる。 5歳よりクラシック・バレエを始め、英国ロイヤル・バレエ・アカデミーの世界共通検定試験で最年少、最高点を獲得。 13歳の時、ミュージカル「キッズ・イン・ザ・キッチン」で主役を務める。15歳の頃からヴォーカリスト、ドラマーとして都内のライヴ・シーンで活動を開始。 16歳の時、阪神大震災チャリティー・コンサートでハービー・ハンコックと同じステージに立つ。 18歳で初のリーダー・アルバム「18/P.S.アイ・ラヴ・ユー」(ネクスト・レコード)を発売。 99年12月『ソー・ナイス』でメジャーデビュー。「スイングジャーナル」誌においては4ヶ月間、ヴォーカル・チャートの第1位を続け、 年間のヴォーカル・チャートのNo.1も獲得。翌年にはブルーノート・クラブのステージに日本人として最年少で立ち、 また2000年度日本ジャズ・ヴォーカル賞大賞を最年少で受賞する。2001年は1月にスイングジャーナル主催ジャズ・ディスク大賞(2000年度) <ニュー・スター賞>を受賞。9月にはブルーノート・ニューヨークにて公演、またアルバム『ミスティK』(東芝EMI)をリリース。 同作は今年、スイングジャーナル・ジャズ・ディスク大賞、日本ゴールドディスク大賞<JAZZ ALBUM OF THE YEAR>を受賞。 日本ジャズシーンを担う逸材として、注目を集めている。 

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Omara Portuondo オマーラ・ポルトゥオンド
1930年生まれ
母親、姉の影響で幼い頃から歌をうたいはじめ、15歳のとき初めて舞台に立つ。52年からは女性コーラス・グループ"ラス・ダイーダ"の一員としてデビュー。 "ラス・ダイーダ"解散後もソロとして活躍。キューバ版ボサ・ノヴァにアメリカのジャズの味わいを加えた"フィーリン"と呼ばれるジャンルの歌をうたい、 「フィーリンの恋人」として多くのキューバ人の記憶の中に残ることになる。ナット・キング・コールやエディット・ピアフら世界の名だたるヴォーカリストと 共演したり、共産圏を中心に世界中をツアーし、フランスや日本でも公演を行っていた。それまでは知る人ぞ知る存在であった彼女が、 97年に発表されたライ・クーダープロデュースによるアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ワーナーミュージック)の発売と、 その録音風景を映画『ベルリン・天使の詩』、『パリ・テキサス』などで知られる映画監督、ヴィム・ヴェンダース監督で同名映画が公開されることによって 世界的注目をあびる。結果アルバムは、同年のグラミー賞「ベスト・トロピカル・ラテン・パフォーマンス」を受賞。以後、その情熱的で感動的な歌声は、 さらなる世界的評価を受ける。日本においても彼女の公演はすべてプラチナチケット化するほどの人気を博し、音源が続々とCD化。 その半世紀以上にわたる歌声は多くの人を魅了し続けている。

オマーラのライブ映像
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Naoko Terai 寺井 尚子
4歳よりヴァイオリンを始め、1986年にプロデビュー。97年にピアニスト、ケニー・バロンのアルバム『Things Unseen』(ユニバーサルポリドール)に参加したことで注目され、 98年に初のリーダーアルバム『Thinking of You』を発表。この2作の高い完成度が評価され、スイング・ジャーナル誌主宰、第33回ジャズディスク大賞「ニュースター賞」を受賞。 以後、その独自性あふれる演奏スタイルが評価を受け、スイング・ジャーナル誌による読者人気投票「ミュージック・インストゥルメント部門」では3年連続でウィナーに輝いている。 最新作は本人初となるセルフプロデュース作『All For You』(ビデオアーツ)。 

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coba
3歳から音感教育で音楽に接し、18歳でイタリアに留学。ベネツィアのルチアーノ・ファンチェルリ音楽院アコーディオン科を主席卒業。そのアコーディオンサウンドは従来のイメージを大きく変え、世界に衝撃と影響を与えた。95〜96年にかけて世界60ヶ国以上にわたるビョークのワールドツアーに参加。また、UA、カヒミ・カリイのプロデュースやTV番組のテーマ、CM、舞台、映画音楽を手がけるなど、オリジナルにこだわり最先端のサウンドを発信し続けている。蛇腹楽器生誕180周年にあたる本年10月には、日本の若手アコーディオン&バンドネオン・プレイヤーを集結させ 『coba & Bellows Lovers』(東芝EMI)をリリース、ライブイベント 『Bellows Lovers Night』 を開催。12月には通算23枚目となる待望のオリジナルアルバムをリリース予定。

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Danilo Perez ダニーロ・ペレス
パナマ出身のピアニスト。1993年『Danilo Perez』(輸入盤)にてデビュー。 以降、アフリカやラテンのフレーバーを用いたコンテンポラリージャズを奏でるプレイヤーとして支持を得ている。 現在までに6枚のアルバムを発表。2000年に発表した最新作『Motherland』(ユニバーサルジャズ)ではグラミー賞にもノミネートされている。 今後の活躍が期待される、新進アーティストだ。昨年は『Newport Jazz Festival in斑尾』にウェイン・ショーター・カルテットの一員として来日。 卓越したプレイで聴衆を魅了した。

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John Patitucci ジョン・パティトゥッチ
1959年ニューヨーク、ブルックリン生まれのベーシスト。80年代前半にL.Aにてトム・スコット、スタン・ゲッツなどと共演、実力を認められ85年、 チック・コリアのバンドに抜てき。以降、ウェイン・ショーター、マンハッタン・ジャズ・クインテッドをはじめ数多くのアーティストの作品に参加、共演。 アコースティック、エレクトリック両方のベースを使いこなせるその技巧は、高い評価を受けている。 87年にマイケル・ブレッカー、チック・コリアらも参加した、初のリーダーアルバム『John Patitucci』を発表。 その後もオーケストラとのセッションをみせた『Heart On Bass』(91)、アフリカンミュージックと競演した『Another World』(93)など 実験的要素の高い作品から、『One More Angel』(96)、『Now』(98)といったストレートなジャズトラックまで さまざまなタイプのアルバムを発表している。10枚めとなる最新作は『COMMUNION』(01・ビクター エンタテインメント)。

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Brian Blade ブライアン・ブレイド
1970年ルイジアナ州生まれ。教会でドラムを演奏するうちジャズに傾倒し、ドラミングを研究。 ロヤーラ、ニューオリンズ大学在学中にさまざまなジャズミュージシャンと出会い、プロの道を選択。ニューヨークへ渡る。 その後、ジョシュア・レッドマンのカ ルテットに参加。『ムード・スウィング』や『フリーダム・イン・ザ・グルー ブ』などのアルバムに登場し、 その実力が広く認められる。以後ブラッド・メルドーやマーク・ターナーなど若手実力派とのセッションから、 ピーター・ガブリエルやジョニ・ミッチェルなどといったポップス系アーティストとも共演し、ジャンルをこえて多くのミュージシャンからの支持を得ている。 98年に初リーダー作『ブライアン・ブレイド・フェロウシップ』を発表。最新作となる2ndアルバムはジョニ・ミッチェルがゲスト参加し、 話題の『パーセプチュアル』(01・東芝EMI)。昨年はウェイン・ショーター・カルテットとしてニューポートジャズフェスティバル・イン斑尾に出演している。

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Tadashi Yabe: United Future Organization 矢部 直
1990年、ラファエル・セバーグ、松浦俊夫(2002年5月末独立)とともにU.F.Oを結成。91年シングル『I LOVE MY BABY(MY BABY LOVES JAZZ)』でデビュー。92年発表のシングル『LOUD MINORITY』にて、イギリス『STRAIGHT NO CHASER』誌の選ぶ、プラネットジャズ賞を受賞。93年に発表した1stアルバム『UNITED FUTURE ORGANIZATION』は国内で10万枚をリリース。翌年には「VERVE」レーベルとも契約し、活動は世界規模に。世界各国のジャズフェスやクラブイベントに招聘されるほどの評価の高さだ。また日本においても、デビュー当時から西麻布「YELLOW」や青山「BLUE」を中心に数々のクラブイベントをオーガナイズ。アシッド・ジャズなどのクラブジャズを日本に浸透させた立役者的ユニットである。最新作は『V (Five)』(2002)

U.F.O.矢部氏の東京JAZZへのコメント
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