マーカス・ミラー
1959年6月14日、NYのブルックリンに生まれている。
そして、クイーンズのジャマイカ地区に育つ。父親はオルガンを弾き、クワイアーを率いていたこともあるという。最初に手にした楽器はクラリネット、ベースを始めたのは意外に遅く13才だった。だが、15才のころには友達と組んだバンドでお金を稼いだりしていたという。主にR&B/ファンクを愛好していた彼がジャズに目覚めたのは、地元の芸術高校(オマー・ハキムは同級生)に入ったころ。そして、高校在学中からレニー・ホワイトやロニー・リストン・スミスら敏腕奏者と親交を深め、彼ら絡みのライヴやレコーディングにマーカスは加わった。
ハイティーンにして、NY音楽界の台風の目のような存在に。
高校卒業後は本格的に業界入りし、当時のフュージョン表現を牽引していたGRPレコード(デイヴ・グルーシン、トム・ブラウン、リー・リトナー他)のスタッフ・ミュージシャンになるとともに、フレッシュなベース技量で、グルーヴァー・ワシントンJr. 、ザ・ブレッカー・ブラザーズ、エルトン・ジョン作に参加するなど、たちまち売れっ子セッション・マンとなる。そして、そんな彼を6年間の沈黙を破って81年に復帰したマイルス・デイビスも自己バンドの一員に抜擢。20歳ちょっとにしてマーカスはジャズ/フュージョン界の頂点に上り詰めたのだ。
同時に、プロデューサー/アレンジャーとしても活躍しだす。
また、82年頃から単なるベーシストを越える総合的な才も発揮、ロニー・リストン・スミス『ドリーム・オブ・トモロウ』やデイヴィッド・サンボーン『バックストリート』を皮切りに、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリン、テディ・ペンダーグラス、ディジー・ガレスピーなどそうそうたるスター・アーティスト作のプロデュース/アレンジに係わる。そして、ついにはマイルスの『TUTU』(86年)、『シエスタ』(87年)、『アマンドラ』(89年)のプロデュースも担当し、マーカスは敏腕制作者の名声を揺るぎないものとしたのだった。
83年、ソロ作『サドゥンリー』を発表。また、J・ボーイズも始動。
マルチな才を持つ彼が初リーダー作を発表したのが、83年の『サドゥンリー』。翌年には2作目『パーフェクト・ガイ』(ともに、ワーナー・ブラザーズ)もリリース。それらはともに、ベース以外の楽器も操りつつ、自分が考える同時代型アーバン・ブラック表現を提出しようとしたものだった。また、プロデューサーとしての評価を確率した時期、彼は足元を見つめ直すように、気心の知れた旧知の友人とともに、楽しみのためのファンキー・バンドであるジャマイカ・ボーイズを結成。セルフ・タイトル作(87 年) と『J-BOYS』(90 年) を出している。
その一方で、助っ人家業も真心でこなす。携わったアルバムはウン百枚?
上出以外の人のほかにも、ロバータ・フラック、ナタリー・コール、ザ・クルセイダーズ、ナジー、ザ・テンプテーショズ、チャカ・カーン、ウェイン・ショーター、フランス・ギャル、テイク6などプロデュースをした人の顔ぶれは本当に多彩。また、『ハウス・パーティ』や『ブーメラン』など映画のサウンド・トラック担当も10作品近い。とともに、ベース大好き人間を自認する彼だけに、ベーシストとしてのレコーディング参加も本当に多い。ブライアン・フェリー、スクリッティ・ポリッティ、ボズ・スキャッグス、マライア・キャリー、ポール・サイモン他。
90年代初頭に、ソロ・アーティストとしてのジャイアント・ステップ!
かようにプロデューサー/ベーシストとして大活躍しまくるマーカスだったが、84年のソロ作以降、彼は純粋なリーダー・アルバムを作ることを意識的に封印した。その真意をマーカスは次のように語っている。「『パーフェクト・ガイ』を出して、ちょっと違うと感じた。で、その後の9年間、自分がどいう人間であるかを僕は見つけようとし、自分は何を作るべきかをじっくり考えたんだ。そして、91年に僕のなかで重要な位置を占めていたマイルスが亡くなったとき、今こそ僕はレコードを作るときだったと思った。期は熟した、完全に準備は出来ているぞって」
ジャズやR&Bなど米国の偉大な財産を今に繋げる" 水先案内人" 。
そして、そんな強い心持ちのもと作られたのが、今のソロ活動に繋がる第一弾と言える『サン・ドント・ライ』(93年)。「往年の素晴らしいジャズも今の流儀も僕は知っている。それをクリエイティヴに繋ぐのは僕の役目だと思った」。その後、彼は『テイルズ』(95年)、グラミー賞を受賞した『M2〜パワー・アンド・グレイス』(01年)という練られたスタジオ録音作、さらにライヴ録音曲主体の『ライヴ・アンド・モア』(97年)、現在のソロ活動の屋台骨となるライヴ活動をヴィヴィッドに伝える『(オフィシャル・ブートレグ)ライヴ〜ジ・オーゼル・テープス』(02年)を出している。
マーカスは豊かでヒップな、統合型アメリカン・ミュージックを作りだす。
マーカスは音楽は強い力を持つものあり、生きたものであると考えている。「音楽に生命があるか否か、本物であるか否かは、それが何かに結びついているかどうかにかかっている。それは必ずしも政治的なことである必要はなく、どんな事項でもいい。だからこそ、音楽は娯楽というにはあまりにパワーに満ちたものになるだ」。豊かな音楽知識、秀でた技量、確かな視点……。胸を張ったアフリカン・アメリカンであり、良き家庭人でもあり、お洒落な人。そして、何より音楽が大好きなマーカスは胸を張って“自分の考える音楽”を求めている。
齢45にして、ドキドキの毎日。そこから、新作が作られた。
只今、彼は油の乗った45才。「僕はとてもラッキーな人間だと思う。多くの人はこのぐらいの年齢になると、それまでの人生を振り返って“ああ、23才のころは良かったナ”なんて思ったりするものだけど、僕は過去から現在まで、ずっと素晴らしいことばかりの人生だと感じることができるから。今だって、これからやってみたいと胸を踊らせたり、楽しみにしていることが沢山ある。また、今でも新しいことを見つけたり、新しいファン層を得たりしているんだから!」。……そんな充実した日常のなかかからドロップされる新作が『シルヴァー・レイン』なのだ。